全鎔喆が子役として芸能活動をしていた頃から親交のあったハン·ミョングという映画監督がいる。彼は1996年、全鎔喆が収監されていた原州刑務所で面会し、その後、2003年にも全鎔喆と会った。日曜新聞のインタビュー記事が出た02年11月の後だった。
このとき、全鎔喆はハン監督に裵昺洙の「殺害をそそのかした人がいる」と話し、ハン監督は、この事件を映画化することを思い立ったという。
それから10年後の2013年、崔真実が亡くなって5年後、ハン監督はまた全鎔喆と面会し、その後、ワールドトゥデーとのインタビューに応じた。●ワールドトゥデー
ハン監督は「全鎔喆は獄中で手記を書いており、出所後に公開する。全鎔喆は、裵昺洙さん殺害をそそのかした人に強い恨みを持っている」「事件の真実を描いた全鎔喆の獄中手記は仕上がっている。すぐ出版できる状態だ。しかし、全鎔喆は、殺害をそそのかした人への恨みはまだ強いものの、実社会で一緒に過ごした人たちへの配慮から出版するかどうか悩んでいる」と話した。
ハン監督は「全鎔喆の裵昺洙殺人に関する真実を聞くと、実に衝撃的だ」「特に殺害をそそのかした人は全鎔喆を悪のどん底に陥れたにもかかわらず、一度も面会に来なかったという。19年が過ぎた、今では全鎔喆のほうが殺害をそそのかした人に同情しているようだ」と明かした。
ところで、当時、捜査本部が設置されたソウル瑞草(ソチョ)警察署で取り調べを受けた時、全鎔喆のポケットからある人のクレジットカードが発見された。それで、警察は「そそのかされての殺人」という線も視野に捜査を進めた。
また、全鎔喆が裵昺洙を殺害した当時、ベの自宅に保管していたポルノビデオがあり、このビデオの主人公は誰々だという根拠のないうわさがささやかれていた。警察は、この部分についても捜査を行ったが、全鎔喆と共犯は強く否定、結局、この件はベールの中に閉ざされた。
「そそのかした人」は誰か?
全鎔喆はハン·ミョング監督にも明かしていない。警察署で面会したとき、ハン監督は殺害をそそのかした人について尋ねたが、全鎔喆は声をひそめて「私が最後まで抱いていく」(死ぬまで明かさない)言い、そそのかした人がいることをほのめかすにとどめたという。
警察と検察は当時、全鎔喆のポケットにあったある人のクレジットカードに焦点を合わせ、持ち主を集中的に調べた。この過程で、クレジットカードの持ち主は警察の捜査を受け、全鎔喆と対面した。
全鎔喆はこのクレジットカードについて、「持ち主が席を外している間に車の中から盗んだ」と陳述した。
じつは、このクレジットカードの持ち主は崔真実の母だった。
検察でもクレジットカードについての捜査は続いたが、全鎔喆は「盗んだ」とし、裁判でもそう話した。結局、全鎔喆にはクレジットカードの窃盗容疑も加わった。
全鎔喆が原州刑務所に服役した当時、多くの取材陣が全鎔喆に面会し、「殺害をそそのかした人」について取材した。しかし、その度に全鎔喆は「そういう人はいない」と否認した。ハン監督も「当時、それがとても知りたくて面会時に、全鎔喆に殺害をそそのかした人が誰なのか尋ねたが、全鎔喆は笑って答えなかった」と振り返る。
ハン監督はこういう話もした。
全鎔喆は1995年に判決が確定し、原州刑務所に服役した当時、誰かが面会に来てくれることを切望していた。そのことは、全鎔喆の母親が私(ハン監督)に話した。全鎔喆の妹も時々、その人の近況を全鎔喆が知りたがっているというので、その人たちに連絡したこともあると言っていた。(「その人たち」ということは崔真実の母と本人か)
ハン監督によると、その人に対する全鎔喆の怒りが爆発したのは、全鎔喆が刑務所に収容されて7年目になる年。俳優養成所に一緒に通い、子役としても一緒に演技した女性タレントが原州刑務所に面会に行ったときだった。全鎔喆は「事件が起きてから7年が過ぎたが、まだ一度も面会に来てくれない。人目を気にして来られないなら、身内の人でも代わりに送ってくれればいいのに。まだ何の連絡もない。それから、事件当時、弁護士を選任してその費用も持ってくれるはずだった。しかし、私の母が弁護士費用を払っていることを知った」と、「殺害をそそのかした人」に対する恨みを吐露した。
全鎔喆は「甘い言葉で、一生、保障すると言って、若く血気盛で、世間知らずの私に殺害を頼んでおきながら、後はしらんぷり、一度も面会に来ない。貧しい家庭環境(全鎔喆の母は家政婦をして暮らしていた)を知っているのに」と言って悔しがっていたという。
続く
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