悲運の名投手、辻内崇伸とハン・ギジュ

(1)韓国で話題になった辻内の引退
2013.10.04
巨人の辻内崇伸投手(25)が引退した。
スポーツ報知 (10月2日(水)7時3分配信)は、このようなインタビュー記事を伝えた。

実戦復帰も120キロ台、夏に引退を決断…辻内に聞く

巨人の辻内崇伸(つじうち  たかのぶ、1987年12月5日~) 投手(25)が1日、
現役引退を表明した。この日、球団から戦力外通告を受けた左腕は、
度重なる肩と肘の故障により、現役生活を続けることは困難と判断。
2005年に大阪桐蔭高から、高校生ドラフト1巡目で鳴り物入りで入団したが、
一度も1軍での登板機会がないまま、ユニホームを脱ぐことになる。
 ◆辻内に聞く
 ―現役引退を決めた理由は?
 「けがを言い訳にはしてはダメですけど、最近は頭で思い描くイメージに体が
ついてきませんでした。夏ぐらいには、今年で辞めようと決めていました」
 ―3月に左肘のクリーニング手術を受けた。
 「リハビリすれば、元通りになると思っていましたけど、なかなかうまくいかなかった。
そのうち、肘だけじゃなく、肩にも負担がかかるようになってきていたので、
これは厳しいかなと」
 ―8月31日の帝京大とのプロ大学交流戦が最後の登板だった。
 「この試合を最後にしようと決めていました。リハビリもここを目標にやっていました。
球速は120キロ台しか出ませんでしたが、1イニングを無失点で抑えられましたし、
三振も取ることができて良かったです」
 ―最速156キロの国内最速左腕として鳴り物入りで入団。まわりからの期待は
プレッシャーにならなかったか?
 「高校の頃から期待されていたのは分かっていましたし、
それに応えられなかったのは、すべて自分の実力不足。そこに関しては悔しいし、
悔いが残っています」
 ―巨人で8年間プレーしたことについて。
 「1軍での登板機会がないにもかかわらず、8年間も見ていただいた。
この8年間の経験を、今後の人生に生かしていきたいです」
誰を恨むこともなく、むしろ読売巨人軍(大人の社会)に対し、感謝のことばを残して、
辻内は球界を離れ、実社会に入っていく。

「この8年間の経験を、今後の人生に生かしていきたい」か…。

辻内というと、高校野球ファンなら知っている名投手だが、もう甲子園から8年ですから、
その間、まったく鳴かず飛ばすだったわけで、一般には忘れ去られた存在だったと思う。
しかし、国内はもとより、海外では、ほとんど無名となってしまっていたはずのこの選手を
よく覚えていて、かつその引退に深く感じ入り、憤慨した外国人もいるのです。

ま、みんなピンとくると思うが、アメリカ人じゃないよね、そう、韓国人です。

韓国人は、辻内のことを、もしかしたら日本人以上によく覚えていた。
その証左ともいえるのが、この記事。

●スポーツ春秋 2013-10-04 07:52
「パク・ドンヒの野球探査」 誰が韓日の「怪物」を「退物」(ポンコツ)にしたのか
http://news.naver.com/main/ranking/read.nhn?mid=etc&sid1=111&rankingType=popular_day&oid=295&aid=0000001074
&date=20131004&type=1&rankingSeq=1&rankingSectionId=107

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辻内の引退を知った韓国の野球評論家が、かなり長く、まとまった文章を書いて発表した。

辻内の好敵手だったハン・ギジュ(韓基周)の不遇な野球人生を取り上げ、日韓の野球界の悪しき体質を強く批判している。

その主張を紹介する前に、まず、2人の才能豊かな投手の高校3年時、最初で最後の対戦のもようは、この記事の通り。

●中央日報/中央日報日本語版 2005年09月07日10時52分
<アジア青少年野球>韓国、日本に逆転負けで準優勝
6日、仁川文鶴野球場で行われた第6回アジア青少年野球選手権大会の
韓国対日本の決勝戦、韓国が4-2でリードした9回裏日本の攻撃。
1死まで好投した韓国エース、ハン・ギジュ(韓基周、東成高)が安打を打たれた。

ユン監督は作戦タイムをかけてマウンドに入った。
この時点まで126球を投げた韓からは疲れの気配が見られた。
しかしユン監督はリリーフを投入せずベンチに戻った。

日本の6番代打正木修平は、待っていたかのように韓の外角を叩き出し、
右フェンスを越える同点2ラン本塁打を放った。士気の上がった日本は
延長10回裏、9番小島宏輝がリリーフ投手キム・クァンヒョン(安山工高)から
右越のサヨナラ決勝本塁打を打ち、5-4の逆転劇を繰り広げた。

2大会連続優勝の入口でホームラン2発に崩れた韓国は準優勝。
日本は1998年以後7年ぶりの優勝となった。

日本の左腕エース辻内崇伸(大阪桐蔭)は10イニングで173球を投げる怪力を
発揮し、勝利を収めた。最高時速155キロの剛速球を駆使した辻内は3試合で
432球を投げ、この大会で日本が収めた4勝のうち3勝を1人で投げ抜いた。

(2)日韓のエース同士の対決
2013.10.06
2005年夏、大阪桐蔭高校の3年生だった辻内は、甲子園大会で時速156kmを記録した。
この156kmというのは、現在まで、プロも含めて日本人左腕が出した記録としては
最速である。(※右腕では、伊良部、 山口、五十嵐らが158kmを出している)

この大会で辻内は1試合19奪三振を含め、4試合連続二桁奪三振も記録した。
準決勝で田中将大(楽天)を擁する駒大苫小牧に延長10回、5対6で敗れたものの、
チームをベスト4に導く立役者となった。

一方、光州東成高の3年、ハン・ギジュ(右腕)も時速154kmの速球に、フォークボール、
スライダー、カーブなどを自在に操る好投手だった。

日本とはプロ入りのシステムが異なる韓国で、ハン・ギジュはすでにKIAへの入団が
決まっていた。KIAはハン・ギジュを大リーグ球団に奪われないようにと、10億ウォン
(約1億ウォン)という高額の契約金を用意した。当時、韓国プロ野球史上最高額だった。

第6回アジア青少年野球選手権大会での両者の対決は、全体として見て辻内の勝ちだった。
予選リーグの第1戦、台湾戦は6イニング無失点。5人連続奪三振を含めて、三振9、被安打1。
翌日に行われた予選第2戦の韓国戦も完投した。被安打4、無失点。日本は容易に準決勝へ。

ハン・ギジュは初戦の台湾戦で肩慣らし程度に投げ(一打者をライトフライに打ち取る)、
第2戦の日本戦は回避した。韓国ベンチは、この試合は落としても、決勝に進んで、
決勝で日本に勝てばいいと判断した。そして、決勝進出をかけた準決勝の台湾戦で、
ハン・ギジュは、韓国が4対1でリードした9回表の2死1塁の場面で登板した。

しかし、いきなり2点本塁打を打たれ、さらに2打者連続安打で4対4の同点とされてしまった。ハン・ギジュは、アウトカウントを一つも取れないまま、降板。しかし韓国は、延長10回5対4とし、なんとか台湾を振りきり、かろうじて決勝に進出した。

決勝のもようは、すでに紹介したが、少し追加で説明しておくと、決勝戦の先発は
キム・クァンヒョンが有力だった。好調なのに加え、左腕なので、左打者の多い日本打線に
対して有利だ、ということもあった。実際、予選第2戦の日本戦で、5回までノーヒットノーランを記録していた。しかし、決勝当日、韓国ベンチは先発をハン・ギジュに決めた。
ハン・ギジュが自ら先発を強く要望したからだという。パク・ドンヒの記事には、こうある。

後日ハン・ギジュは、「メディアが連日、自分と辻内を、韓日ライバルとして描くので、ぜひ一度対戦したいと思った」とし、「監督にお願いして、紆余曲折の末、先発として登板することができた」と回想した。

さて決勝戦、8回まではハン・ギジュが優勢で、2失点と好投した。辻内は4失点。
しかし、9回裏、ハン・ギジュは1アウトを簡単に取ったが、次の打者にレフト前ヒットを打たれた。監督はマウンドに上がって投手を交代しようとした。

しかしハン・ギジュは「次からの打者が右打者だから、自信がある」と監督を説得した。
(※パク・ドンヒの記事による) 監督は続投を決断。が結果は、予想外の2点本塁打。
4対4の同点。勢いに乗った日本は延長10回裏、リリーフしたキム・クァンヒョンから
小島宏輝(愛工大名電)がサヨナラホームランを放って決着をつけた。

当時、韓国の高校生としては最高の投手で、破格の契約金でプロ入りの決まっていた
ハン・ギジュとしては、プライドをずたずたにされる痛恨の敗戦となってしまったことだろう。
ハン・ギジュには、このときすでに致命的負傷の暗い影が忍び寄っていたのかもしれない。

一方、辻内は大会最高勝率(10割)と防御率(1.08)で、大会最高の殊勲者となって帰国。
続くNPBドラフト会議では、1位指名で念願の巨人に入ることが決まった。
契約金も、1億円と、高卒ルーキーとしては最高額だった。
辻内には、大きな未来が広がっているはずだった。

(3)プロ入り後。故障との闘い
2013.10.10
辻内は、入団から引退するまで8年間、肩とひじの負傷に苦しみ、
手術とリハビリ、2軍や教育リーグでの調整登板で過ごし、
一度も1軍のマウンドに立つことはなかった。

2012年8月に初めて1軍に昇格し、6日間だけ、ベンチ入りしたが、
投げる機会はないまま、再び2軍に落とされた。

このとき、1イニングでも、打者1人でも、投げさせてもらえたら、と悔まれる。

一方、ハン・ギジュは、辻内よりはずっとプロで活躍した。

2006年のルーキーイヤーに、10勝11敗8ホールド1セーブ、防御率3.26。
2年目からは抑えに転向し、07年に2勝25セーブ。08年には3勝26セーブ、
防御率1.17とトップクラスのクローザーとなり、
同年の北京五輪の代表チームにも選ばれて出場した。
(韓国は金メダルを獲得、ハン・ギジュは褒美に兵役を免除される)

しかし、ひじや肩の状態は、はるか以前から悪く、だましだましの投球だった。
抑えに転向したのも、故障のためたくさんの球数を投げられなかったためだ。
09年は4勝4セーブ、防御率4.24。10年は、09年シーズン終了後ひじの手術を
受け、1年以上、リハビリに費やしたため登板機会なし。
11年のシーズン途中に復帰し、1勝7セーブ、防御率4.08。
12年は1勝7セーブ、防御率3.20。ことし13年は、5月初旬に肩の手術を
受けたために登板機会なし。09年のひじの手術以外にも、11年と12年に
指の手術を受けており、手術は4回目だった。

パク・ドンヒの記事によると、今の状態について監督はこう述べたという。

ソン・ドンヨルKIA監督は、「現在、ハン・キジュは、肩の手術後のリハビリ中」と
しながら「来年マウンドに立つことができるかどうか、確信できない状況」と話した。

再起は難しいとみられ、再び登板できたとしても09年以前の状態にまで
回復するのは、かなり困難であるようだ。

さて、2005年5月、KIAは「縁故地の一次指名対象者」であった光州東成高3年の
ハン・ギジュのひじの状態をチェックした。ちょうど、そのころに行われた大統領杯
大会優勝後、ハン・ギジュがひじの痛みを訴えたからであった。

当時、韓国のドラフト制度は、球団の縁故地選手を選択する一次指名ドラフトと、
ウェーバー方式で獲得していく二次指名ドラフトがあった。
「縁故地選手」というのは、たとえばハン・ギジュの場合だと、光州の高校出身なので、
光州をフランチャイズとするKIAにのみ一次指名の権利がある選手、ということ。
後にハン・ギジュ本人が明らかにしたところによると、「大統領杯準決勝のとき、
最初からひじが痛かった」とのことだ。

では、辻内は、いつ、どの試合から「ひじが痛かった」のだろうか…。

パク・ドンヒの記事には、こうある。

病院の診断結果、ひじの靭帯が少し損傷していることがわかった。担当の医師は
「中学から高校3年までにたくさん投げたために、ひじの状態が良くない」
「十分に休息をとれば、これ以上悪化しないだろう」と説明した。

大切な金の卵を大事に育てたいKIAは、高校の監督にハン・ギジュにたくさん
投げさせないように頼んだ。監督もよく理解し、8月に行われた鳳凰大旗大会では
ハン・ギジュを抑えに回し、長いイニングは投げさせないようにした。

しかし、KIAや高校の監督らの配慮も、アジア青少年野球選手権大会決勝での
辻内との対戦で水泡に帰してしまった。

パク・ドンヒの記事によると、韓国チームの団長はこう振り返ったという。

「ハン・ギジュが、勝負欲がとても強いせいもあるが、自分の体の状態を正確に
知らなかった」とし「あのとき9回まで投げて、ひじの負傷を大きくしてしまった」と
明らかにした。

KIAは、ハン・ギジュが入団するとすぐ、米国と日本でひじの状態を確認した。
結果は、「ひじの靭帯の3本のうち、2本が90%以上損傷している」という
ショッキングなものだった。

ひじの靭帯の接合手術(いわゆるトミー・ジョン手術、日本の村田兆治、荒木大輔や
桑田真澄らもこの手術を受けた)の創始者、ジョーブ博士は「手術ではなくリハビリを
選択することもできる」とし、「しかし投球数は、最大で50球、適正投球数は40球に
しなければならない」と助言した。

この診断結果に、KIAの関係者たちが大きく落胆したのは言うまでもない。

(4)夏の甲子園の後に4日間で432球を投げる
2013.10.12
辻内の負傷も、周辺の貪欲が引き起こした「人災」だった。

パク・ドンヒは、そう断定している。

辻内は「腕に負担がない」と強弁したが、2005年のアジア選手権で、
4日間で3試合25イニング432球を投げたのは、間違いなく無理があった。
当時日本の代表監督だった迫田穆成監督(如水館)の「辻内はボールを
たくさん投げるほど、より強いボールが投げられる」という主張は、
エースの酷使を正当化しようとする言葉遊びに過ぎなかった。

う~む、辻内と迫田監督のやりとりが目に浮かぶようだ。
監督が辻内の肩にそっと手をのせ、
「辻内、あすも頼んだぞ」
辻内は直立し、大きな声で、
「はい、がんばります!」

このアジア青少年野球選手権大会というのは、U18アジア野球選手権大会
ともいい、2年に1回(基本的に奇数年)行われる、アジア地区の18歳以下の
ナショナルチーム同士での国際大会である。

上位2チームは、翌年の U18世界野球選手権大会への出場権を得る。
辻内とハン・ギジュが投げ合った第6回大会は、2005年9月3日から9月7日の
間に韓国仁川の文鶴野球場で開催された。

出場国は、日本、韓国、台湾、中国、フィリピン、スリランカ、モンゴル。
アジアでは、日本、韓国、台湾の3カ国と他の国の力の差が大きく、
これまでのところ、優勝争いはこの3カ国の争いとなっている。

通算の優勝回数は、日本が4、韓国が3、台湾が2である。

8月は、日本の高校生の大会としては最高の舞台、甲子園があり、
9月下旬からは国体が控える。日程的に、このU18 の国際大会は、
日本のトップ選手にはかなり負担になると思われる。

しかし、野球というのは、事実上、日本の国技であり、比較的マイナーな
このレベルの国際大会であっても、負けると世論がうるさいので、
また指導者としても自分の評価にも関わるので監督の立場では、適当に
済ませるわけにもいかないのかもしれない。

だとしても、いくら元気で回復の早い高校生とはいえ、当時、辻内は、
プロでもトップレベルの速球を投げていたのだから、1球1球、肩やひじの
関節に大きな負荷がかかっていたはずだ。

前月の甲子園大会でも準決勝まで連投し、さらにこの大会で、4日間で
3試合25イニング432球を投げたのである。

迫田監督は、ほんとうに「辻内はボールをたくさん投げるほど、より強いボールが
投げられる」と言ったのだろうか…、ほんとうにそう思っていたのだろうか…。

真偽のほどは不明だが、ひとつはっきりしている重要な事実は、この大会で、
辻内に4日間で432球を投げさせたことだ。

これがいかに危険なことか。

代表監督になるほどの専門家である迫田監督が知らなかったとは思えないのだが…。

(5)「怪物投手」を潰す「ほんとうの怪物」
2013.10.16
パク・ドンヒはこう記している。まず、韓国語原文。

더러의 팬들은 “선발도 확실히 맡지 못하고, 불펜에서도 믿음이 가지 않는
한기주는 희대의 먹튀”라는 비난을 퍼붓기도 했다.

訳すと、
一部のファンは「先発も確実に任せられず、リリーフでも信頼されないハン・ギジュは
稀代の「モクティ」だと非難したりした。

「モクティ」(먹튀)というのは、「먹고 튀다」(食べて走る)を縮約した造語で、
日本語でいうと「食い逃げ」とほぼ同じ意味である。

韓国では、高額の契約金や年棒をもらったにもかかわらず、その金額には
だいぶ及ばない働きしかできないスポーツ選手にも使われる。

日本ではそういう選手に対し「あいつは食い逃げしやがった」と、「食い逃げ」という言葉を
はっきり使って非難することはほとんど聞かないが、しかし、そういう目で、そういう選手を
見るということはある。そういう自分に対する冷たく厳しいまなざしは、そういう立場に
置かれた選手ならばみな敏感に察知しているはずだ。

それは辻内もハン・ギジュも同じで、高額の契約金を払ってくれた球団になんとか少しでも
報いたいという思いで、必死だったはずだ。

パク・ドンヒは、そんな辻内を慮って(おもんぱかって)こう記している。

ハン・ギジュと同様、辻内も激励と慰めよりは非難と叱咤に苦しめられた選手だった。
名門球団、読売にドラフト1位で指名されて入団し、契約金1億円を受け取ったという
理由だけで、辻内は引退するまで「モクティ」(食い逃げ)と言われた。その負担から、
オーバーペースになり、早期復帰を焦ったことが、毒となってしまった。

結論として、パク・ドンヒは、こう指摘。

辻内とハン・ギジュ。2人の「怪物投手」を負傷させてダメにしたほんとうの「怪物」は
別にいる。そして残な念なことに「ほんとうの怪物たち」は相変わらず韓日野球界を
支配している。

そして、こう結論し、「ほんとうの怪物」を糾弾する。

「闘魂」「必勝」「大選手に育てるために」「チームのため無条件で犠牲になる」「おれが
応援するチームの選手だから」「名将(名監督)になるため」という一方的なスローガンが
「怪物投手」たちの未来を閉ざす。

日韓に色濃い、こういう野球界の悪しき体質は、早急に改善されなければならない、
と私もまったく同感だ。

ところで、スポーツには必ず勝者と敗者、光と影がある。
辻内とハン・ギジュは、プロでのキャリアを見ると、残念ながら後者の色彩が強いのだが、
逆に、大成功を収めた選手たちも、この第6回アジア青少年選手権大会に出場していた。
日本の田中将大(楽天)と韓国のリュ・ヒョンジン(柳賢振 LAドジャース)だ。
田中は、今季、日本で24勝無敗、防御率1.27という驚異的な大記録を打ち立てた。
昨シーズン終盤の4連勝を加えれば、28連勝中。いまや押しも押されぬ日本のエースだ。

一方、リュ・ヒョンジンは韓国プロ野球最高の投手に成長し、今季、大リーグに進出して
14勝8敗、防御率3.00というすばらしい成績を残した。これは、岩隈(14勝6敗防御率2.66)にはやや落ちるが、ダルビッシュ(13勝9敗防御率2.82)とほぼ同レベルのアジアの
投手ではトップクラスの好記録だ。

そして、ついきのう(2013.10.15)行われたナ・リーグ優勝決定シリーズ第3戦でも、7回3安打無失点の好投を見せ、韓国人としては初のポストシーズン勝利投手となった。

辻内が大活躍した第6回アジア青少年選手権大会で、田中(駒澤大学附属苫小牧高2年)は予選の台湾戦で辻内に続き、7回に登板して1イニング4安打3失点だった。

リュ・ヒョンジン(仁川東山高3年)は、3試合、8回1/3を投げ、無失点だった。

辻内とハン・ギジュ、対する田中とリュ・ヒョンジン、残酷なほどに、明暗くっきりではないか。

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