チョ・ジョンレ監督「どうか『鬼郷』が戦争の道具ではなく、平和の道具に使われるようにと毎日、祈っている」

ヒットを続ける、あのトンデモ映画「鬼郷」。(3月10日終了時点で累計観客動員数は285万5769人)

ネチズンからは絶賛の声が沸き起こっており、メディアの報道もだいたいそれに同調して拍手を送るものが大部分なのだが、それでも、やはり、この映画に対する批判や懸念は韓国の国内にも存在するようだ。

この記事は、書いた記者自身は批判や懸念を示す側ではなく、映画と映画を作った人々を擁護する側(その言い分は意味がはっきりせず、まったく説得力がないのだが…)であるのだが、それでも、この記事を通してアンチのサイドの雰囲気も伝わってくる。

●スターニュース 2016.03.09 午前 11:34
見なければならない映画「鬼郷」のジレンマ…そして批判と弁明①
http://entertain.naver.com/read?oid=108&aid=0002507237

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ーー引用始まり
(冒頭、2015年のヒット作「延坪海戦」を引き合いに、国民の共感と支持がすばらしい興行成績につながった、云々と記しているが、省略)

「鬼郷」はチョ・ジョンレ監督が14年間、企画を温めて作り上げた映画だ。慰安婦を素材に映画で作るということで、投資会社だけでなく、商業映画の製作者らにもそっぽを向かれてきた。撮影中、制作費が足りなくなり、独立運動家、金九の外従孫(母方の従姉の孫)でもあるイム・ソンチョル/プロデューサーが俳優として出演しながら、絶えず金策に走り回らなければならない状態だった。

「鬼郷」の素材、作った人々の事情、そして韓日慰安婦協定の妥結などの外部的な状況が、映画への(国民の)共通の感情を強く刺激した。この感情は、往々にして批判を妨げる。批判を妨げてしまうと、さらに前に進むことができなくなる。「鬼郷」に共感したのであれば、批判にも耳を傾けなければならない。

「鬼郷」は元慰安婦たちが劫姦(脅されて犯すこと、強姦とほぼ同じ)されるシーンや暴行を受けるシーンを赤裸々に描いている。チョ・ジョンレ監督が地獄図と表現した、慰安婦らが各部屋で劫姦されるのを空から眺める(俯瞰する)シーンが代表的だ。

これに対しては、こうまでして被害者たちの苦痛を赤裸々に表現しなければならないのか、という批判が起きている。ユダヤ人のホロコーストを扱った「サウルの息子」、そしてカトリック司祭たちの児童へのわいせつ行為を追跡した記者の物語「スポットライト」が同時に公開され、比較対象になったからということもある。 「サウルの息子」「スポットライト」は、被害者たちの苦痛を赤裸々に描写してはいない。

(略)

チョ・ジョンレ監督は、実は悩んだ。 慰安婦の苦痛を商業的に利用することになるのではないか、レベルはどのくらいであるべきか、苦痛をそのまま見せるのは正しいことだろうか、と、毎晩祈りながら悩んだ。 彼は、こう話した。

「セミ・ドキュメンタリーの手法で描くことを考えたり、様々な方法について悩んだ。そんな中、小学校の先生をしているある後援者の言葉に最も大きな影響を受けた。その方は生徒たちに『慰安婦被害者は連れて行かれ、つらい思いをした』と話すと、生徒たちに『なぜおばあさんを連れて行ったのですか?』と問い返されたという。(小学校の先生をしている後援者は)そう言いながら、『おばあさんたちがどれほどの苦痛を受けたのか、なぜ連れて行かれたのか、必ず知らせてほしい』と言った」

「鬼郷」で慰安婦の苦痛が隠されなかったのは、このような理由からだ。そういうシーンへの批判も当然だが、そのように描くことは「鬼郷」を作る理由でもあったのだった。少女たちを使って、そのようなシーンを撮ることは正しいのか、という点も批判の対象だ。必ず考えてみるべき問いでもある。これは、キム・ギドク監督の「メビウス」を当時、青少年だったソ・ヨンジュで撮ったことは倫理的に正しいのか、という問いにもつながる。

弁明するわけではないが、「鬼郷」に出演した演技者たちは在日韓国人を含め、自発的な参加者が大半だ。ソン・スクなどの成人演技者を除いて、プロの演技者たちの出演は少なかった。出演したくてもできなかったというべきだろう。そういう事情を踏まえても、批判される可能性はあるだろうが、こうしていなければ「鬼郷」は作られていなかったはずだ。

出演した演技者たちが映画の興行で(広報活動などで)前面に出てこないのは、慰安婦の苦しみを利用しているという世間の誤解を避けるためでもあり、安全のためでもある。演技者の保護者の中には、この映画が作られるまで相当な後援を惜しまなかった人もいる。公開されるかも不透明な映画だったが、大義に共感して、後援に積極的に参加した。それでも、もしかしたら誤解されるのでは、と(子女が出演し、自分も後援していることを)世間には伏せていた。映画に参加した在日韓国人は、日本で被害に遭うかもしれないと、映画のクレジットでは仮名を使いもした。

この映画には、前後の因果関係がやや合っていない部分もある。もっと多くのことを盛り込むべきだったという批判もある。実は「鬼郷」完成版は3時間を超えていた。少女たちの事情や韓国政府の対策なども含まれていた。しかし、ランニングタイムが長すぎるということで、127分のバージョンに編集され、それらは消えてしまった。これは、作り方への批判につながる部分でもある。言いたいことは、決まった時間内にすることも監督の仕事なので。

チョ・ジョンレ監督には「鬼郷」で言いたいことがとても多かったようだ。 映画から消えたそれら言葉を見つけるのは、観客たちの役割である。

「鬼郷」が作られなければならなかった理由と、監督の考えを、2月18日に行われた観客との対話から引用して紹介する。

ある男性観客がたずねた。ソン・スクが慰安婦として登録(慰安婦だったことを公にすること)しようと村の役場を訪れるシーンで、職員が「村に恥をかかせるつもりか」「何でそんなことを登録するのか」と言っているが、今この時代の人々に言うことなのか、と。これに対し、チョ・ジョンレ監督はこう答えた。

「実話を元にした。キム・ハクスンさんが初めて慰安婦について証言をしたのは、1991年のこと。当時の韓国社会の雰囲気はそうだったのだ。25年が経ち、もうあの時のことは忘れられている。変わったと言われるが、忘れたというべきだ」

次に、ある女性観客がたずねた。「鬼郷」のコピーに「何が少女たちを地獄に送ったのか」とあるが、果たしてその何とは、何なのか、よく分からない。チョ・ジョンレ監督は答えた。

「『誰が少女たちを地獄に送ったのか』としたなら、直ちに日本、日本軍、日本帝国主義という答が出ただろう。『誰』ではなく、『何が』としてこそ、慰安婦問題は、韓日間の問題を越え、普遍的な女性の人権問題、さらに反戦映画になるだろうと考えた」

そして、チョ・ジョンレ監督は、こう付け加えた。

「『鬼郷』への書き込みを見ると、『私たちも日本にまったく同じことをしてやらなければならない』という怖い発言が多い。私は『鬼郷』を作りながら、男として申し訳ないという思いのほうが、はるかに大きかった。どうか『鬼郷』が戦争の道具ではなく、平和の道具に使われるようにと毎日、祈っている

ーー引用終わり

この映画は「商業映画の製作者らからはそっぽを向かれ」、チョ・ジョンレ監督(42)とその周りに集った後援者たちの努力で作り上げられた。

作りはしたものの、映画関係者たちは「これは映等委(映像物等級委員会、日本の映倫、映画倫理委員会のようなもの)の審査を通らないだろう」と、応援よりは冷ややかな反応を示していた。
■超問題作「鬼郷」、きょう公開。ネチズン「必ず見なければならない映画だ!」
http://seouljinseigekijo.com/?p=5220

ところが、映等委の審査を通って(それも、内容はかなりえげつないポルノなのに、青少年観覧不可等級ではなく、15歳以上観覧可でパス)、公開されたのだった。

つまり韓国でも、商業映画の関係者たち(プロの演技者も含む)は、早くからこの映画に対し、眉をひそめ、訝しく(いぶかしく)思っていたということだ。

その一番の理由は、この記事でも指摘されているように、劫姦、暴力シーンの赤裸々な描写。そして、その撮影に少女たちを起用したこと。

もちろん、批判され、ひんしゅくを買って当然なのだが、記者は「しかし、他の作品(ここではキム・ギドク監督の『メビウス』が例に挙げられている)だって青少年を使ってそういうシーンを描いたではないか」という反論にもならないことをさらっと書いて済ませ、チョ・ジョンレ監督本人はこの点について「慰安婦の苦痛を商業的に利用することになるのではないか、レベルはどのくらいであるべきか、苦痛をそのまま見せるのは正しいことだろうか、と、毎晩祈りながら悩んだ」としている。

しかし、それでもそういうシーンを赤裸々に描くことにしたのは「小学校の先生をしている後援者」から言われた、おばあさんたちが「どれほどの苦痛を受けたのか、なぜ連れて行かれたのか、必ず知らせてほしい」という言葉だった、とのこと。

もともと、この苦痛だの、(日本軍に銃剣で脅されて)連れて行かれただの、話は全部、嘘なのだが、仮にそうだったとしても、そのことを知らせることと、劫姦、暴力シーンをどぎつく描くこととは結びつかない。それこそ「サウルの息子」「スポットライト」のような方法でも良かったわけで。やはり真の狙いは、劫姦、暴力シーンをどぎつく、扇情的に描いて観客を興奮させ、興行成功に結びつけることだった、と、ぼくはそう見る。

また、あまりにも冒涜的なので書きたくなかったのだが、この映画には、慰安所から逃げようとした少女たちを全員、銃殺し、死体を穴に落として焼いてしまう、というとんでもないファンタジーが「事実」として描かれている。このシーンなどは、この映画のクライマックスとなっているのだが、フィクションと断ったものであったとしても作り手の常識が強く疑われるレベルだ。「前後の因果関係がやや合っていない」などというレベルではない)

この内容では、商業映画の関係者たちがそっぽを向いてしまったのも無理はない。

また、この映画は、韓国の反日感情に訴えることも、もちろん興行成功のために、はっきりと狙っている。何も知らない高校生がこんな映画を見たら、日本および日本人に対する怒りに震えることだろう。

しかし、そうでありながら、チョ・ジョンレ監督は、奇妙なことを言っている。

「韓日間の問題を越え、普遍的な女性の人権問題、さらに反戦映画になるだろう」

しかし、そういう(戦時の)「普遍的な女性の人権問題」を扱うのであるならば、何も日本軍の話(証拠がないにもかかわらず韓国が世界中にまき散らしている嘘)を取り上げなくても、朝鮮戦争時代やベトナム戦争時代の韓国軍の話(豊富な証拠のある事実)を描けば良かっただけのこと。

チョ・ジョンレ監督は、また、こんな、かなりズレたことも言っている。

「鬼郷」への書き込みを見ると、「私たちも日本にまったく同じことをしてやらなければならない」という怖い発言が多い。私は「鬼郷」を作りながら、男として申し訳ないという思いのほうが、はるかに大きかった。

いや、監督! こんな映画を見たら、誰だって「私たちも日本にまったく同じことをしてやらなければならない」と復讐心に燃えるって! 「男として申し訳ないという思いのほうが、はるかに大きかった」って、つまり自分の国の女を守れなくて、ということのようだけど(こういう負け犬根性はそれなりに、一部、この人たちのナルシシズムを満足させるものとして昔から脈々と流れ、受け継がれてきているのではあるが)、その時代を生きていない今の若者たちの圧倒的大部分に、そんな思いは生じないって!

そして、この言葉。

どうか「鬼郷」が戦争の道具ではなく、平和の道具に使われるようにと毎日、祈っている。

冗談もいいかげんにして、という言葉しか出ない。

いったい、この監督は、本当のところ、何を祈っているのだろうか?

この映画をきっかけに、特に海外で、日本の子供がいじめられたり、女性が嫌がらせを受けたり、というケースが増える可能性が高い。本格的に、対策を考えなければならないと思う。

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チョ・ジョンレ監督「どうか『鬼郷』が戦争の道具ではなく、平和の道具に使われるようにと毎日、祈っている」” への2件のコメント

  1. 今のフィクション映画ではダメですね。韓国軍がベトナム民間人を襲ったという実話にすれば平和に寄与しますが。We Japanese are very at this Korean fantasy movie. First, the institution; Japanese army as criminal; is the complete fiction. In fact, Korean army is the real criminal. Second, the institution; Korean ladies as victim; is the complete fiction. The real victims are the Vietnam ladies. Lai Dai Han is the evidence of this statement.
    よい子のみなさんは、この文章をあちこちで使用する方がいいよ。人類の平和のためにも。

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