イ・ワング首相、やはりこのタイミングで辞意表明

芸能関連のネタではないのですが、きのう、少女時代のユリと阪神のオ・スンファンの熱愛報道と関連して触れた関係上、結果を、お伝えすべきかと思い、政治関連の記事を紹介します。

結局、イ・ワング首相は、きょう辞意を表明しました。

●ソウル新聞 2015-04-21 20:41
3人は落馬、2人は辞任。パク・クネ政府の「首相残酷史」
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=100&oid=081&aid=0002549436

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ーー引用始まり

「ソン・ワンジョヨン/リスト」に名前のあったイ・ワング首相が辞意を表明したことにより、結果として、パク・クネ政府では2人の首相が辞任し、3人の首相候補者が落馬する(「落馬」とは、候補にはなったが、審査過程で、ふるい落とされた、ということ)受難史が描かれることになった。

イ・ワング首相の場合、国会人事聴聞会の過程でも、マスコミの圧力を暗示するような発言を含んだ録取録が公開され、新政治民主連合が強く反発、聴聞会の「敷居」も、やっとのことで越えた、ということがあった。

紆余曲折の末に首相に信任されたが、今回はソン・ワンジョンの波紋に巻き込まれ、野党はもちろん、与党内部からも辞任の圧力を受け、ついに耐えきれなくなって、大統領の海外歴訪中に、経済副首相に権限を渡して、首相職を自ら退くことになった。

イ首相は20日、中南米歴訪中のパク・クネ大統領に辞意を表明した。

パク大統領は今月27日、歴訪を終えて帰国したら直ちに、イ首相の辞意を受け入れるとされている。

辞意表明時期から換算すると、イ・ワング首相の在任期間はたったの63日、憲政史上最短命首相という「不名誉除隊」の汚名を残すことになった。

それぞれ理由は異なるが、首相職をめぐる雑音と受難は現政権に入って、絶え間なく続いてきた。

2013年1月末、パク・クネ政府の初代首相候補として指名されたキム・ヨンジュン元憲法裁判所長は、道徳性論議の中、わずか5日で下野した。

キム候補者は、憲法裁所長退任後5日で、法律事務所に出向し、前官礼遇の特恵だけでなく、自分と家族が所有する不動産10カ所余りの大半が投機性が高いという疑惑を受けて退いた。

その後、チョン・ホンウォン首相が就任したが、セウォル号惨事の対応の未熟さの責任を負い、自ら辞意を表明、その後、アン・デヒ元最高裁判事が候補者に指名された。

しかし、アン候補者もやはり、「国民検事」という称号を汚し、2013年、弁護士生活5カ月間で16億ウォン(約1億6000万円)の収益を得ていたことが明らかになり、法曹界の前官礼遇という批判から逃れられず、結局、聴聞会の席に座ることもなく落馬した。

その後は、ムン・チャングク氏が初の記者出身首相候補に抜擢されたが、自身の歴史認識から起きた論争を収拾できず、結局、否定的世論に押され、聴聞会の敷居を越えることもできぬまま、アン候補者に続いて「連鎖辞退」となった。

この結果、辞意を表明したチョン元首相が、首相の座を降りることができないという奇妙な状況が長期間続き、「メビウス首相」なるニックネームまで付けられ、その後、なんとかイ・ワング首相にバトンが渡されたが、これまた、「短命首相」の記録を残して去ることになり、パク・クネ大統領は後任の首相を誰にするか、悩むことになった。

ーー引用終わり

つまり…、次は、6人目の首相候補ですか?

大統領と首相とは、メオト(夫婦)みたいなもの、(おっと、こういう言い方は、パク・クネ大統領に不快感を与えるおそれがあるので、ほとんど何の存在感もないぼくでも、公開の場で発言するに当たっては、冷や汗)だから、この人という信頼できる人と2人でがっちり組んで安定的に政治をしなければならないはず。

歴代政権では、それなりにそれができていた。

しかし、この政権ではできていない、その結果として、この異常事態です。

うかつなことは言えませんが、韓国の最高権力に近い関係者は、この事態にどう対処したらいいのか、厳しい国際情勢の中、ぎりぎりするような緊張感を感じながら、あれこれと今後の対応について思案しているのではないでしょうか?

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